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四苦八苦 

たとえば一生に一回だけ使える

万能の自由というものがあったとして

何から解き放たれることを望むだろう


死がなければ生はない

老がなければ若はない

病がなければ健はない

生がなければ死はない


それならば

万能の自由なんていらない





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言葉 

時は過去から未来へ
水は高いところから低いところへ
本当にそれだけか
常識を疑え
うまい言葉もっともらしい言葉にこそ気をつけろ

有言実行だとか不言実行だとか
プラス思考だとかマイナス思考だとか
積極的だとか消極的だとか
そんなことにとらわれるな

もっと血の通った言葉を
もっと心の底から湧き上がるような言葉を
作り出せ

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始めに言葉ありき 

奇跡という言葉。

NHKスペシャル「奇跡の詩人」  ~日木流奈くんについて~
という記事が目に付いた。
脳障害を抱える日木流奈さん。
ドーマン法というリハビリを続ける事により、詩集や本を多数出版している、という内容の番組であった。

この平成14年に放送された番組について賛否両論だという。
奇跡の詩人は、本当に奇跡を起こしているのかというところが論点である。詩は日木流奈さんの作品と呼べるのかどうかと。

私は、その当時日木流奈さんの本が書店にたくさん並んでいたのは目にしたが、そんな議論になっているとは全く知らなかった。
その番組を見てもいないので、真実はわからない。
ただ、奇跡が演出されたのであれば、悲しいことである。
日木流奈さんはいずれにしても、被害者である。
放送内容が仮に真実であっても、疑惑をもたれるような放送をした責任がある。

奇跡の~ と書いた瞬間に後戻りができなくなるような呪縛力に負けて、言葉に合わせて番組を演出してしまったのか。

奇跡は演出されるものではない。奇跡は演出などできない。
奇跡とはめったに起きない、運の要素を多分に含んだものではないか。
だからこそ貴く、だからこそ心を動かされるのだ。

奇跡という言葉も、チャンピオンという言葉も輝きを失いつつある。
感動という言葉さえも、安っぽく感じられるようになった。

言葉は浪費するものではない。
痛み止めのように、効かなくなったら強いものに
変えればいいというわけにはいかない。

強い筈の言葉の力が、日に日に衰えていくのは
何か、野生生物が絶滅の危機に瀕しているかのような寂しさを覚える。

ニホンオオカミが絶滅して今年で101年だそうである。




タグ: 言葉  奇跡 

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詩人の魂 

今日は車で移動中にたまたまラジオで
NHKの高校講座を聞いた。
宮沢賢治の詩について放送していた。
途中から聞いたのであるが、ひきこまれてしまった。

雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・

この詩に関しては、専門家の間でも評価がとても分かれてしまっている。
素晴らしいという人もいるし、こんなのはとても詩とは呼べないなんていう意見もある。

宮沢賢治は「永訣の朝」で悼んだ妹と同じ肺炎にかかった。
「雨ニモマケズ」はその病の床で詠んだ詩。
彼は37歳という若さで亡くなるまで、
瑞々しい青年の心を持ち続けた。
自らの死が迫りながら
人を気遣う、利他主義とも言えるいきかたに心打たれる。

木村澄子さんという方が朗読と解説をしていたのだが、
心のこもった朗読と
その解説の最後の言葉がよかった。

詩とは詩人の心の奥底からほとばしる叫びである
それを伝えることのできる幸せを感じる
詩人の叫びはそれが切実であればあるほど
ときに理解されないこともあるが
詩人がこう感じ、それをこう表現したということは伝えたい
たとえ解説が味気ないものになってしまおうとも

というような内容であった。
味気ないどころではなく
力強く語る木村澄子さんの声にこそ瑞々しい情熱を感じた。

思わぬところから心が動かされたいい日であった。

タグ: 宮沢賢治    言葉 

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つれづれなるママに 

つれづれ、徒然。
最近よく目にする言葉である。
つれづれなるママも多い。
つれづれなるパパは少ない。
づらずれるパパはかわいそうである。
let it be なら、きゅうりはパパらしい。
原文ママは最近見ない。
ヤンママと天気予報とは関係がない。


つれづれ。
特にブログのタイトルや紹介文によく使われている。
少し前までは、ほとんど使われない言葉だっただろう。

普通、日記を書くときに見出しは必要がない。
人に見せるためのものではないからだ。
しかし、ブログというものがそれを変えた。

日記などつけたことがない人も
日記を書くようになった。
随筆は筆にしたがうということだが、
今はキーボードにしたがうという感じ。
随鍵とでもしよう。


650年の時を越えて輝く
つれづれ

することがなくて退屈だ などと訳すには
あまりにも力強い言葉である。

高校時代の教科書が見つかったので
徒然草の世界を少しのぞいてみることにする。

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号泣? 

 少し言葉について考えてみた。
近頃よく見聞きする言葉(主にメディアで)について。
「号泣」ってどういう状態を本来指す言葉なんだろう。
『号泣する準備はできていた』という小説もある。私は読んでいないけれど。号泣っていうお笑いタレントもいる。

手元の辞書には、
号泣とは、
「大声をあげて泣くこと」とある。また「号」の同じ使い方の言葉には、「怒号」がある。こちらは、「いかりさけぶこと、またその声」と書いてある。「号」が大声や叫びという意味をもつ。
私のイメージでは、取り乱して大声で泣き叫ぶ感じ。
例えば、イラクやレバノンで何の罪もないわが子を虐殺され大声で泣き叫ぶ母親、父親の姿が浮かんでくる。
ところがテレビなどでは、号泣とテロップが出ていても、大声をあげて泣いている姿はほとんど見たことがない(亀田号泣っていうのはどうだったかな?)。
言葉がどんどん軽くなっている証なのか。

過去の戦争、現在進行形の戦争で本当に号泣している人々から目をそらしてはいけない。

 
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タグ: 亀田号泣  号泣  お笑い  言葉  江國香織 

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